英語ができないとダメ。なんて大間違い。

英語ができない役員は2年後にクビにします
いちばん重要なのは、中学校の英語の先生をみな外国人か本当にペラペラしゃべれる人に替えること。今の先生を教育し直すのは、時間とカネのムダなので、別の科目に移ってもらったほうがいい。そうしたら絶対に変わる。日本の競争力が上がる。小学校からの英語教育と併せて、すぐにでもやるべき。

私自身、英語がしゃべれるようになれたらいいな。と思って、地味にゆっくり英語の勉強をしているんですが、これは言い過ぎだろ、と思ったので。


特に、小学校の英語教育のくだり。英語を身につけることが競争力を上げるっていうけど、TOEIC960点でも仕事につけない時代。車があっても目的地がないなら車が役に立ったと思うことはないことに似ている。英語教育より、仕事の現場を自分の目で見て、興味とか関心を持つことの方が何より大事なんじゃないかな。英語とかその他もろもろのスキルとか、目的意識さえあれば自ずと身につくでしょ。


一番まずいのは、「英語があれば大丈夫という妄信」

英語を活かす道に進まなければ、TOEIC100点も900点も同じなのだ。


するとどうなるか?

いままで進んできたレールが突然途切れる。

なぜ途切れたか。それはレールしか見ずに進んできたから。

視点を変えれば、色んな道があるにもかかわらず、である。

この問題の本質は、脈々と続いてきた日本の教育の在り方に起因していると私は思う。
早ければ、幼稚園から「お受験戦争」なるものが始まり、小中高、そして大学と受験を制してきた人は、それが「やるべきこと」であり、無我夢中に走り続け、いざ「やりたいこと」を見つけようとすると、凪に入ったかのような状態になる。
そして、「やりたいこと」が見つかったとしても、それは周囲の目、自身のプライドがそれを許さないかもしれない。

東大を出て、居酒屋の店員に就職する。

親の期待、これまで援助してきてくれたことに対する責任感、そういったプレッシャーが視界を曇らせる要因になりかねないのである。

大学進学率20%の理由~スイスの職業訓練学校 - 学びの場.com
将来なりたい職業、自分にぴったりした職業を見つけるまで何件も企業を訪問することも珍しくない。あくまで子どもの意見を尊重し、最終的には子どもたち自身で自分の将来に責任のある決断が出来るよう、学校と地域そして企業が一体となって最大限援助し、また見守っているのだ。

スイスでは職業訓練というものがある。
10代の若者は、自分の意思でやりたい仕事を選択し、仕事をしながら社会を学び、スキルを身につけている。そうして、そのまま就職したり、「あの仕事にはこのスキルが必要」という決断のもと、進学している。

英語が必要かどうかは、個々の裁量で決めればよいのであって、英語がないとダメ。と過剰に煽るのは「グローバル化した社会でサバイブできる人材」を増やすより先に、使う当てもないのに英語が堪能な「英語貧乏」を生み出しかねないと思うのだがどうだろう?

この手の話は、大金を稼げば幸せになれるのか。というものに似ている気がした。


「手段」と「目的」を履き違えた先に「幸せ」は、、、、。


この先は、あなた自身に問いかけてほしい。

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