いかに読み解くか -Re:書評- ウェブ時代をゆく

ウェブ進化論が「道」なら、本書は「標識」。

ウェブ進化論が「海」なら、本書は「航海図」。

『ウェブ進化論』を読んで - ポジろし

「ウェブ時代をゆく」- もし「そんなの関係ねぇ」と思ったら - Tech Mom from Silicon Valley

それにしても、いつもながら梅田さんの言葉に対する感覚の鋭さ、本質をとらえる力には感心してしまう。

予言者ではなく、未来のビジョンを描ける「ビジョナリー」の1人だと思う。

「木を見て森も見られる」「点と点を見て線を描ける」

幅広い視点と、物事を捉える視力が良い著者が描いた「しるべ」を、本書に感じた。

「高く険しい道」「けものみち

「ウェブ時代の歩み方」を表現する言葉として以下の2つの道を使っている。

古い時代の産物ではあるが、登り切った先には「見晴らしの良い場所」にたどり着ける「高く険しい道」

道なき道を自分の嗅覚と感性によって切り拓いていくけものみち

梅田式に当てはめてみると、ウェブ進化論から提唱されている「こちら側」の仕事をしながら、古くから続く「高く険しい道」を歩いているのがいまの私。

仕事に対して葛藤がある。

それは、仕事がつまらないとかではなく、この世に生を受けたのだから、中島聡さん(@snakajima)のように「興味の赴くままに」という感情は大事に、それを原動力に突き進めたらどんなに素晴らしいか、と感じる時が少なからずあるという葛藤だ。

直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 - My Life Between Silicon Valley and Japan

「ある対象の悪いところを探す能力」を持った人が、日本社会では幅を利かせすぎている。それで知らず知らずのうちに、影響を受けた若い人たちの思考回路がネガティブになる。自己評価が低くなる。「好きなことをして生きていける」なんて思っちゃいけないんだとか自己規制している。それがいけない。自己評価が低いのがいちばんいけない。

吸い取り紙のような人間でありたい

本書p.233~234、海辺のカフカの引用

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

中学校の授業で教えられる知識やら技術やらが、現実生活でなにかの役にたつとはあまり思えないよ、たしかに。(中略)でもいいかい、君は家出をするんだ。そうなれば、これから先学校に行く機会といってもたぶんないだろうし、教室で教わることは好きも嫌いもなくひとつ残らず、しっかりと頭の中に吸収しておいたほうがいいぜ。

君はただの吸い取り紙になるんだ。なにを残してなにを捨てるかは、あとになってきめればいいんだからさ。

今、この一瞬にもウェブの情報は想像を超えるような速さで増えている。瞬く間にGoogleにインデックスされ、明日を待たずして検索結果にヒットする時代になっている。

梅田さんはこのようにインフラが整った状態を「知の高速道路」と定義し、誰でもその高速道路に上がることで、一定の知識を素早く手に入れることが出来る時代になったと語る。

しかしそれは、本書の表紙にもある、

「能動的に働きかければ必ず何かが返ってくる能力の増幅器たるウェブ進化を前にしたとき、「働き者」と「怠け者」の差は大きく増幅される。」

餌を求めて待っているだけの人は何も得ることかなわず、能動的に動き出した人は「吸い取り紙」のように吸収する速度を早めていき、「新たな発見」「知識の連結」「気づき」などを手に入れていく。

求めよ さらば与えられん

本書の最後に「ウェブは自ら助くる者を助く」という言葉が出てくる。

giveの精神。giftの報酬。

自分が発信した情報は、誰でも、いつでも、どこからでも閲覧ができる。

それは、ある人にとって盾となり、ある人には羽となるかもしれない。

誰かの為になった情報は、めぐりめぐって自らの糧となることは私自身も実感するところである。

そういったウェブが持つ本質を一言で、というなら「ウェブは自ら助くる者を助く」なのだろう。

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