かならずしも成功だけが糧ではない

高校時代に初めてサッカー部に入部した。
これまでずっとサッカーが好きで、できることなら小学生からサッカーをしたかったのだが、田舎で生まれたわたしにはソフトボールとソフトテニスという選択肢しかなかった。

サッカー部の練習は想像以上に辛く、インサイドキックとはなんぞやというわたしとは技術力でも体力でも雲泥の差があった。

入部から2ヵ月後、同じ時期に入部した半分が退部していた。

走力や持久力は同じメニューをこなしていると自然に鍛えられる部分であるのでフィジカルにおいては入部時よりはいくぶんマシになった。
しかし,技術面はそれまでかけてきた時間や経験がでるので、ほかのメンバーに対する劣等感からコミュニケーションもろくにとれない状況が続いた。

いまにしておもえば、技術がないんだから、コミュニケーションをしっかりとってわからないところを教えてもらったり、アドバイスをもらえるような関係を作り上げればよかったなと後悔している。
劣等感を感じた時こそ殻に閉じこもらずに、自分をさらけだすことが大事だという教訓をえたのはこのとき。

部員の多かったサッカー部は、レギュラー陣のAチームと、サブメンバーや補欠のBチームに分かれていた。定期的に入れ替えがおこなわれ、レギュラーからもれてBチームに落ちてきたひとは泣いていた。3年でもずっとBチームの人もいたし、1年でもすぐにAチームにあがる人もいた。コネや馴れ合いのない完全な実力社会だった。

試合前の練習などはBチームは声出し・ボール拾いと明暗ははっきりしている。

退部と後悔

それから1年半ほど続けたサッカー部を高校2年の夏休みにやめた。

ひとことでいえば辛かったんだとおもう。
あれほどやりたかったサッカーが苦痛になっていたことも辛かった。

ボールを持った瞬間に悪いイメージしか頭に浮かばず、おもうように蹴れず、トラップできず、はがゆいけれど打開策がない、ずっとそんな状況で、しまいには仮病をつかって練習試合を休んだりしたとき「やめよう」とおもった。

退部届を受け取ったBチームの監督が
「もう、ユニフォーム着れないぞ」
といった言葉がいまでも忘れられない。

ずっとBチームだったので、この監督にはずいぶんお世話になったし、サッカーのいろはを教わった。そして学生としてサッカーだけやればいい、わけじゃないというのも教わった。
とても厳しく、とても優しいひとだった。

退部してからは絵に書いたような高校生活を満喫した。カラオケに行ったり、買い物にいったり、部活をしていたらできなかったことができたのはよかったとおもう。

こう始めていれば、という後悔はあったが、
続けていれば、という後悔はなかった。

わずか1年半、日数にすれば500日くらいだっただろうけど、この期間が自分の人生におおきな糧となっている。

あの時以上の逆境をいまだ知らないし、
あの時以上の苦しさをまだ味わってない。

心臓が破裂するような持久走、筋肉が悲鳴をあげたトレーニング、常につきまとう劣等感。

「あの時に比べれば」といつでも自分を信じれることを経験できてよかった。

その連続は「成功」と呼べるシロモノじゃないし、なにかを「達成」したというにも程遠い。

だけど、その厳しい環境にさらされていた芯の部分はいつのまにか頑丈な柱になっていた。
かならずしも成功だけが糧ではない、なにも成し遂げなかった、なにも成し得なかった、だけと「なにか」をしているのならそれはかならず「糧」となっているはずだ。