オードリーの漫才はありそうで無かった「ズレ漫才」 若林に学ぶ視点

オードリー -Wikipedia-
オードリー


最近の私のオードリー厨っぷりに、嫁も辟易しだしたろうから、このブログに吐き出させて貰う。トゥース!


オードリーの漫才は、斬新だ。
若林いわく、「ズレ漫才」というらしいが、最初見たときはとろサーモンの「すかし漫才」みたいだなと思った。が、違った。

ひと言で言うなら、ボケとツッコミの時系列が狂っている。のだ。
春日は元々ツッコミ担当であったが、とんでもないポンコツだったため、春日のツッコミをボケに転換したことから今の形態にシフトしていったらしい。

ツッコミがポンコツという弱みを、逆に前に押し出して強みとした所に私はオードリーの強さを感じた。
そして動画を見ていると気付くと思うが、昔のライブとかでは、ガチの天然である春日のアドリブに収拾がつかなくなる場面も見受けられる。
予測不可能な春日の言動にもちゃんと対応し、漫才の一部としてみせる若林の手腕は見事だ。
そのうち、アドリブなのか、ネタなのか分からなくなるのも一辺倒じゃなくて斬新だと思った。


若林・春日ともブログを書いていて、ちょくちょく読んでいるんだが、春日の方は特に特筆すべき点は無かった。
一方の若林のブログ「どろだんご日記」は、番組告知や当たり障りのない記事も多いけれど、20回に1回くらい深く考えさせられる内容の記事が見つかる。
そんな中で見つけたのが、角度を変えるという記事だ。
この中で若林は、このように書いている。
命を懸けた極限のスポーツであるF1も
視点を変えると
石油という貴重な資源の無駄遣いに見えたりする

勇気を振り絞ったボランティア活動も
視点次第で
偽善ととる人もいる

目を覆いたくなるような失敗も
視点を変えれば
成功の元となる

失恋は成長の糧に
仕事を遊びにだって出来る

このクソ世界も
視点次第で
なんとも
素晴らしい世界に見えてくるではないか!

正誤性の問題じゃない
視点の違いだ

芸人は面白くなければ意味がないのは自明の理。
でも薄っぺらい人間からは深みのあるアイデアが出てこない。
オードリーのボケとツッコミを入れ替えた事も、視点を変えた結果なのかもしれない。
知れば知るほど、若林という人間に興味が湧いてくる。

正誤性の問題じゃない
視点の違いだ

こういった考え方が私は好きである。
とんでもない不幸のどん底にいるとき、逃れようのない逆境に立たされたとき、それを「辛い」と感じるのか、「これ以上辛くはならない」と感じるかで、気の持ちようは変わってくる。


ここで突然問題です。

今とてもノドが渇いているあなたの目の前に、コップがあって、その中に半分だけ水が入っているとしよう。さぁあなたはどう思う?


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たった半分しか水が入ってない?


半分も水が入ってる?




答えはどっちもアリだろう。

ただ、そんな風にして、色んな視点で物事を捉えられるようになれば、どう転んでも勝ち!みたいな生き方ができるのかもしれない。それが、正誤性でなく、視点の問題を軸にした考え方なのだろう。

良いからやる、悪いからやらない。
スタートしたらゴールするのが当たり前。
下を向かない。前に進め。
そんな0か100かみたいな最近の世の中だからこそ、こんな目線で見られる人間がお笑いという分野で活躍してくれるのが単純に嬉しく思えてくる。


色んなお笑いコンビを見てきて、この2人じゃないと成立しない!っていうコンビは、ダウンタウンナインティナインが自分の中ではそれに当たるんですが、オードリーもこの2人じゃないと!と思えるコンビでした。