その光の名は「希望」 書評 - 最後の授業 ぼくの命があるうちに

永い一瞬の人生に どれだけの拍手が送れるかな
一人で歩いた道なんて どこにも無いんだって
君を見てると そう思うよ(コブクロ:WHITE DAYS)



-R.I.P. Randy Pausch-


米国時間:2008年7月25日
彼は47歳という若さで、この世を旅立った。
末期の膵臓癌だった。彼の名はランディ・パウシュ
死の宣告を受けた2007年9月から、あらゆる化学療法を行い、明日訪れるかもしれない最後の時間まで、ひたすら生きた。生き抜いた。
しかし彼は人生を放り出して、ただ死を待つ事はしなかった。
化学療法の副作用で体調がとても悪くなった。そんな時でも彼は笑った。今まで以上の輝きを放ちながら。
そして彼が行った「最後の授業」で彼が自分達に教えてくれた事は、「膵臓癌の知識」でも「死について」でもない。

彼が今までどのようにして「夢を叶えてきたか」を幼少時代までさかのぼり教えてくれた。
その教えには宗教的な偏見はなく、世界中の全てに通じる「普遍的な原則」が含まれていた。

余命半年、単純に考えたら死の淵に立たされている。
自分の将来が無いことを受け入れて、彼がしたことは家族と平穏に暮らすでもなく、行ったことのない場所に赴くでもなく、教授としての最後の授業を行うことだった。
自分の夢を叶えるために。そして、誰かの夢の実現に少しでも力になるために。


聴衆の面前に立ち、堂々と振る舞う彼の顔には、目の前に死期が迫っている人のような悲壮感は漂っていない。

「配られたカードをかえることは出来ない。
 あとはこのカードをどう使うかだ。」


今という時間がどれだけ重要か、そして今を見つめ直す最大の機会になる。
過去から学び、未来への糧に、現在の自分へ幾度となくリフレインを繰り返しながら生きる中で、自分も彼の眩しすぎるくらいの生き様に感動と共感を得たし、ランディ・パウシュのような考え方に近づきたいと思った。

彼は最終期限を通達されたときから、「フィールドを自らの足で去る」という決意を胸に、生きていた。

訃報をニュースで見たとき、心がぎゅっと締め付けられる思いがした。
大切な人を失う事はいつだって辛い。
残された家族の思いは計り知れない。

最後の授業の終わりにランディ・パウシュが妻のジェイさんに感謝と愛情を詰め込んだバースデーケーキをプレゼントしたとき、そしてジェイさんがランディ・パウシュの耳元でささやいた、「お願い、死なないで」という言葉を知ったときは目の前が滲んでしまった。

ランディ・パウシュは残された子供達のために、この本とDVDを残した。
そして、ここで伝えられる、普遍的な原則や、頭のフェイント、レンガの壁というキーワードはいつまでも自分の中に生き続けるだろうし、彼のように自分の夢を叶えるために生きていきたいと思ったし、そうするにはどんな生き方をしなければならないのかも真剣に考えるようになった。そしていつかはどんな形でもいいから誰かの夢の手助けをしたいと思った。

この文章も今の自分に対する言葉であると同時に、未来の自分がこの文章を読んでいつまでも今の気持ちを鮮やかなものとして残しておくための頭のフェイントでもある。

この本を読み、DVDで実際の講義を目にした後、自分はランディ・パウシュの事がとても眩しく見えて、自分自身の事が恥ずかしく思えだした。

というのも、今まで自分なりに考え、行動し、良い方向へ向かって生きてきたつもりだったのだが、彼の言葉にはたくさんの新鮮な発見があったからだ。
新たに気付かせてもらった「良く生きる」ための方法を、今からでも遅くはないから実践していく事にした。
全てを一度に<覚える/実践する>のは困難だけど、一つずつでいい。少しずつでいいからやっていこう。

最後に。

ランディ・パウシュ氏のご冥福をお祈りしております。
安らかにお眠りください。

関連リンク:
Randy Pausch's Web Site(最後の授業が動画で見られます)